泳げるシマウマ

零細起業家、投資家。軽減税率は反対です。感想、書評、レビューほか。 @cocoopit_t   

【備忘録】世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事 津川友介 

 

科学的な見地から本当に健康に良いことが証明されている食品とはどのようなかを分かりやすく紹介している。多くの情報が氾濫する中、信頼できる情報を見極めるのは一般の人間にとって簡単ではないが、本書は良い指針となると思われる(数時間で読める内容)。特に糖質制限を実践している人にとっては、大事なことが書かれている。

  

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

 

 

本書で言う「健康に良い食品」とは、脳卒中心筋梗塞、がん、糖尿病などを発症するリスクを下げる食品のことを指す。逆に「健康に悪い食品」はそうしたリスクを高める食品のことを意味する。


以下は単なる個人的備忘のための要約。本書内ではエビデンスの紹介(エビデンスの強弱も示されている)も含めて解説 がされているので、興味のある人は読まれることを強くお勧めします。

 

▼健康に良いと科学的に証明されている食品

  1. 魚 
  2. 野菜と果物(果実ジュース、じゃがいもは含まない)
  3. 茶色い炭水化物(玄米、蕎麦、全粒粉のパン)
  4. オリーブオイル
  5. ナッツ類

▼健康によい可能性が示唆されている食品  

  1. ダークチョコレート(砂糖入りは不可)
  2. コーヒー
  3. 納豆
  4. ヨーグルト
  5. 豆乳
  6. お茶

 

 ▼健康に悪いと科学的に証明されている食品 

  1. 赤い肉(牛肉、豚肉のこと。鶏肉は含まない。ハム、ソーセージなど加工肉は特に悪い)
  2. 白い淡水化物(白米、うどん、パスタ、白いパン、じゃがいも、ラーメン)
  3. バターなどの飽和脂肪酸

 

 ▼健康に悪い可能性が示唆されている食品 

  1. マヨネーズ
  2. マーガリン

 

糖質制限、炭水化物について 

  1. 炭水化物の全てが悪いのではない。「健康に良い炭水化物(茶色い炭水化物)」と「健康に悪い炭水化物(白い炭水化物)」がある。前者は積極的に摂取すべき、後者は摂取すべきではない。

  2. 「茶色い炭水化物」は食物繊維が多く、「白い炭水化物」は少ない。極限まで食物繊維を減らしたものが砂糖などの糖。白い炭水化物は砂糖に近く、体内で糖になるので本質的に砂糖と同じ。

  3. 糖質のかわりに肉はいくらでも食べて良いと主張する医者のアドバイスは聞くべきではない。明らかに間違っている。(牛肉、豚肉、加工肉は摂取すべきでない)

  4. 白米は食べれば食べるほど糖尿病のリスクが高まる。白米は全く食べないのが理想。(ただし、ガンのリスクと白米は無関係)

 

▼その他

  1. 日本食が健康に良いというのは誤ったイメージ。塩分、糖質が多い点で健康に良くない。健康に良い食品と言えるのは「地中海食」

  2. 塩分摂取量は減らすべき。血圧を上げ、脳卒中心筋梗塞のリスクを高める。
      
  3. ハム、ソーセージ、ベーコンなど加工肉は非常に悪い。大腸がん、脳卒中心筋梗塞のリスクを上げる。
     
  4. 卵は1日6個までとする。(糖尿病、心不全のリスクが上がる)

  5. 大人は乳製品は控えめにすること。過剰摂取は前立腺がん、卵巣がんのリスクが高まる。

  6. 果実ジュースは糖尿病のリスクを上げる。果物事体を食べることはリスクを下げる。健康の観点から両者は全く異なる。

  7. 野菜ジュースについては、明確な研究はないが果実ジュースと同様と考えられるので、ジュースではなく野菜そのものを食べるべき。


▼疑問点

本書では、がん、脳卒中心筋梗塞、糖尿病のリスクを下げる食品を良い食品としているようである。確かにこれらの疾病は日本人の死亡原因の半数を占めている。糖尿病に関しては、認知症心筋梗塞などのリスクを高める非常に怖い病気である。一方で、これらに該当しない病気については、本書の範囲内では無視されているのかもしれない。

 

SHOE DOG 靴に全てを フィル・ナイト Phil Knight

 

1962年、24歳のフィル・ナイトは父の資金援助を得てオレゴン州から世界を巡る旅に出発した。自分の人生を人とは違う特別なものにしたいと強く願った青年の最大の目的地は日本だった。

 

スタンフォード大学院生だった2年前、ナイトはドイツの独壇場だったカメラ市場に日本企業が参入し、成功し始めていることに着目した。陸上選手でもあったナイトは、日本のランニングシューズにも同様の将来性があるのではないかと感じ、その輸入ビジネスの可能性についてレポートにまとめていた。日本への旅はその可能性を自らの手で実現するための第一歩だった。

旅の計画を聞いたナイトの祖母は猛反対した。世界を征服しようとした野蛮で残忍な日本人の国へ行くなどとんでもない。捕えられて収容所に送られ、目をくり抜かれるに違いないと。終戦からまだ17年、人々の心に戦争の影がまだ色濃く残っていた。ナイト自身も初めて飛行機に乗った5歳のとき、父に尋ねた記憶があった。

「パパ、日本のゼロ戦に撃ち落とされないかな」
 

ハワイを経て羽田に降り立ったナイトは、列車で西へと向かった。車内のあまりの汚さに驚きながらも神戸に到着し、オニツカという会社を訪問した。居並ぶ幹部社員を前に、ナイトは オニツカ製のシューズの輸入販売をさせて欲しいと申し出た。

「ミスター・ナイト、あなたは何という会社にお勤めですか」

こう聞かれたナイトは答えた。

「私はオレゴン州ポートランドブルーリボン・スポーツの代表です」

自宅の部屋に飾っていた陸上競技のトロフィーに付けられていた青いリボンから咄嗟に思いついた名前だった。帰国したナイトは、実際にブルーリボン・スポーツという名前で会社を設立し、オニツカのランニングシューズをアメリカで販売し始めた。

海外メーカーの販売代理店という立場は非常に不安定で微妙なものだ。ブルーリボンは地道な努力で売り上げを伸ばしていったにも関わらず、オニツカとの関係は必ずしも良好ではなかった。ナイトのことを個人的にあまり評価していなかったと思われるキタミが昇進し、オニツカ内で力を持つようになってからは、さらに関係が悪化していった。キタミはブルーリボンの売上に対する不満を隠さなかった。

やがて、オニツカがブルーリボンと手を切り、他の会社に乗り換える検討をしているらしいとの情報が舞い込んだ。ナイトは狼狽した。キタミが訪米し、オフィスを訪問した際には、隙を見て彼のカバンをあさり、書類を盗むという挙に出たほどだった。ブルーリボン社訪問後にどの会社を訪れることになっているのか、情報を探ろうとしたのだ。

その後、懸念していた通り、オニツカはナイトに取引終了を通告してきた。のみならず、契約違反で訴訟を起こすとまで言ってきた。ナイト以下、ブルーリボン社の社員は絶望的な事態に打ちひしがれた。だがナイトはすぐさま自分を鼓舞し、30人の社員の前で宣言する。これは危機ではなく解放であり、我々の独立記念日であると。これからは誰かのために働くのではない。自分達のブランドで勝負するのだ。 そのブランドの名は「ナイキ」だった。

その後ナイキは世界最大のスポーツ用品ブランドとなる。現在、ナイキの売り上げは「アシックス」と名前を変えたオニツカの8倍以上だ。


SHOE DOG 靴にすべてを。』はナイキの創業者フィル・ナイトが70歳代後半になってから人生を振り返り、書き起こした自伝だ。

  

SHOE DOG(シュードッグ)

SHOE DOG(シュードッグ)

 

 
1962年に日本を訪問したナイトがナイキ会長職を辞したのは2016年のことだった。ナイトの職業人生は54年の長きに渡る。そのうちオニツカの代理店の地位にあったのは最初の10年のみだ。にもかかわらず、500ページあまりの本書の半分以上が、オニツカ(現アシックス)の代理店時代のことで占められている。
 
*

 

ナイキの創業者に自分をなぞらえるのはどうかと思うが、私が最初に手掛けた事業も、ナイトと同じように海外のある会社から商品を輸入して販売するというものだった。だから、代理店時代にナイトが心に抱いた苦悩と不安がどのようなものであったかは容易に想像できる。

販売代理店は、自社のパフォーマンスの素晴らしさを輸入先の会社に納得させ続けなければならない。さもなくば、いつ商品の供給を止められてビジネスが終わってしまうかわからない。なぜなら彼らは常に考えいてるはずだからだ。日本で自分たちの商品をもっと沢山売ってくれる会社が他にあるかもしれないと。

創業から売上は順調に伸びていった。だが、それ故にどこかの大きな企業が商品に目をつけ、輸入先に販売権の取得交渉を試みるかもしれない。もしかしたら、もう既にそうした交渉が始まっているかもしれない。あるいは明日にでも取引終了の通告が送られてきて、今まで築いてきたものが無に帰す絶望的な事態になるかもしれない。来る日も来る日も心のどこかでこうした心配をしていたので、いくら売上が伸びていても内心は苦しかった。

ナイトと同じように、商品の品質問題にも度々悩まされた。だが、こちら側の立場は常に弱く、問題解決を試みても、徒労感を伴うコニュニケーションの中で神経をすり減らすことが多かった。

こうした不安定な立場を解消し、ビジネスを長期に渡って継続できるものとするため、輸入先との関係をより強固にする契約の締結をもちかけた。だが、交渉はうまくいかなかった。そればかりか、交渉の過程で嘘や不誠実を見せつけられ、果たしてこの会社と長年付き合っていこうとうする自分の考えが正しいのか疑問が芽生え始めた。そして、一つの考えにたどりついた。他人の商品に依存していてはだめだ。例えどんなに難しくても、自分の手で市場に受け入れられる商品を生み出し、それによって勝負する以外に生き残っていく道はない。ナイトのように宣言を聞かせる30人の社員はいなかったが、心の中で固く決意した。

 

起業して以来、ずっと心の中で繰り返し自身に問うてきた問いがある。

成功する者と失敗する者、両者を分つものは何なのだろうか。答えは単純ではない。それは複数の要素から成り立っている。だが中でも最も重要なものは、自分は何としても成功したい、あるいは成功しなければらないという信念だ。それがなければ短期的にはうまくいっても、長く成功し続けることはできない。これは根拠なき精神論ではなく自然界における普遍の法則だ。故に起業家は絶えず自分に問い続けなければならない。自分が事業をやる理由とは一体何なのかと。

 フィル・ナイトの場合それは何であったのか。『SHOE DOG 靴にすべてを。』には、全編を通じてそれが写し出されている。それは本書で描かれた物語の根底を貫くものであり、それこそがナイトの人生そのものなのだろう。

 

 

 

土俵の女人禁制 備忘のための追記

備忘のための追記:

cocoopit-2.hatenablog.com


この記事を書いたのは、舞鶴市であいさつ中に土俵上で倒れた市長の救命にあたった女性に、若手行事が土俵から降りるように促すアナウンスを繰り返した事件があったからだ。

 

www.j-cast.com

市長は後にくも膜下出血であったことが分かった。また、女性は市長が理事をしていた病院に勤めていた看護師だったらしい。

 

意識を失って痙攣している市長に心臓マッサージを施している女性に対して、土俵から降りるように繰り返しアナウンスが流れる映像は大変ショッキングだった。

 

この事件を通しては、上位の者やルールに従順に従うことが良いとされる所謂体育会系の価値観が、若手行事を思考停止に陥らせたのではないかという別の問題も見えてくる。一刻も早く女性を土俵から降ろさないと、後で上司に厳しく叱られると恐れたのかもしれない。

 

日本の教育は戦前は従順な兵士を、戦後は従順な企業戦士(別名社畜)を育てるように最適化されてきた側面がある。所謂「体育会系」という世界はその最たるものだ。日本では今でも「組み体操はかけがえのない教育活動」などと発言をする政治家がいて、それが一定の支持を受けてしまう。戦後70年以上、バブル崩壊後30年近くが経過し、インターネットができて世界は大きく変わっているのに、日本の教育は本質的には何も変わっていないんだろう。


土俵の女人禁制 政治的態度が異なるのは遺伝子のせいかも知れない

知性による人間社会の進歩を信じる立場に立つ人間としては、長く行われている伝統だからという理由で、それを今後も続けなければならないという主張に同意することは難しい。相撲の土俵が女人禁制であるという伝統についても、それは当てはまる。

 

自分の理解では、日本において霊山などが女人禁制とされたのは、女性が不浄な存在であると考えられたからというよりは、女性に対して男性が抱く劣情が修行の障害となると考えられたからだ。土俵がなぜ女人禁制とされてきたのかは諸説あるようだが、これから闘いに入る力士にとっても劣情は障害になり得るはずで、同様の理由からなのかもしれない。

より未開な社会では現在よりも、欲望をむき出しにした行動に対する社会の容認度合は高かったに違いない。こうした社会で日々生きる男性が理性で劣情を抑えるのを手助けするために、一定の場所で女性を遠ざける規則を作っておくことには意味があったのかも知れない。

 

しかし現代においてそのような規則が必要だろうか。女性が土俵に上がったことで、何か良からぬ影響を受ける力士がいるとは到底思われない。個人的にはこのような非合理的で前近代的な伝統などさっさとやめてしまえばよいと思う。

他方、伝統なのだから女人禁制を続けるべきだと主張する人達を、「道理を解さない蒙昧な人々」として切り捨てるような姿勢は好ましくないと感じる。というのも、伝統を重んじる人と進歩を信じる人の両方が存在するのは、人類の種としての生き残り戦略と関係があると考えるからだ。

 

例えば、古代のある地域に住んでいた人類が狩猟採集によって生活していたとする。その時火山噴火や洪水などの天変地異によって、周囲に生息していた動植物の多くが死んでしまい、食糧が十分手に入らなくなったとする。

その時、その場所にとどまり食糧資源の回復を待つのと、船で海に漕ぎ出して新天地を求めるのと2つの選択肢があったとする。その場にとどまった場合、資源がすぐに回復すれば良いが、しなければ絶滅してしまうかもしれない。一方船で漕ぎ出す場合、食べものがある新たな土地にたどりつければ良いが、遭難したら全員死んでしまう。

どちらの道が正しいかは事前にはわからない。人類の種としての生存確率を上げるには、出ていく人間ととどまる人間の両方がいたほうが良い。つまり、今までやってきたことをこれからも続けることを選好する保守的な人間と、新たな世界が開けることを信じて行動に出る革新的な人間の両方が必要となる。人類の遺伝子はその両方が存在するように設計されているのではないだろうか。

 

こうした考えは私個人の根拠なき妄想ではないと思う。数年前から人がどのような政治的態度を持つかは、その人の遺伝子が影響しているらしいという研究結果が複数発表されているからだ。

www.huffingtonpost.jp

 

また、別の研究によると、保守であるかリベラルであるかという政治的態度と、脳の特定部位の大きさの間には相関関係があるということが示されている。これも政治的態度が遺伝的な要素に影響されて決まっている可能性を示唆している。



monsieuryoshio.hatenablog.com

 

こうしたことを踏まえると、土俵の女人禁制のようにどう考えても合理的な理由が無さそうな規則でも「伝統だから守るべきだ」と考える人が多数存在するのは自然なことだと思えてくる。

政治的態度の違いがある程度遺伝子によるものであるという認識が今後広がっていけば、意見の違う人達に対する寛容な態度がより広まっていくのかもしれない。そうなれば、政治的意見を異にする相手をSNS上で悪しざまに罵倒しているような見目麗しく無い人達も自然と減っていくのかもしれない。

知性によってより進歩した社会を生きる未来の人達が今の状況を振り返った時、SNS上で罵詈雑言を書きたてているような人達は未開社会を生きる未開人として彼らの目に映るのかのもしれない。



トイザらス全店閉鎖で思い出したEコマース黎明期の話

1992年1月7日、当時のアメリカ大統領、ジョージ・H・W・ブッシュが来日した。大阪空港に降り立ったブッシュはその日のうちに、奈良県樫原市に立ち寄った。ひと月前に日本進出を果たしていた"トイザらス"の第2号店開店記念セレモニーに出席するためだった。何故わざわざアメリカの大統領が、おもちゃ屋の地方店の開店記念セレモニーに出席したのか。それには象徴的な意味があった。

80年代以降、日米間では貿易摩擦が深刻な国際問題となっていた。アメリカは日本の「非関税障壁」がアメリカの対日貿易赤字を生み出している大きな原因だとして非難を強め、各種規制の撤廃を求めていた。そのうちの一つが、大型店舗の出店を規制する大規模店舗小売法(大店法)だった。

大店法は、一定面積以上の店舗が新規出店する際に、事前に審査(出店調整)を行う仕組みを定めており、その際に地元の商工会などを通じて、既存小売店の意見を聴くことになっていた。当然ながら、街の小売店主らは既得権を守るために出店に強硬に反対するのが通常で、調整に多大な年月を要したり、店舗面積や営業時間に厳しい制限がつけられることが多かった。今からは想像し難いが、スーパーマーケットやドラッグストアはそう簡単に新店舗を作ることができなかったのだ。

この規制により自国企業の進出が阻まれているとして、アメリカ政府は日本に規制緩和を強く迫っていた。1985年のプラザ合意以降円高が進んだものの、対日貿易赤字は一向に減らず、原因を日本市場の閉鎖性に求める見方が多かった。日米間での協議の結果、1990年に大店法の大幅規制緩和を行うことが決まり、その翌年に"トイザらス"は念願の日本進出を果たしたのだった。ブッシュ大統領にとってみれば、開店セレモニーへの出席は自国の有権者に対して自身の功績をアピールする絶好の機会だった。

大店法によって大型店舗の出店が厳しく規制されていた時代、大した経営努力をしていない店舗でも、それなりに経営を成り立たせることができた。商店街に店を構えてさえいれば、店主が奥に座ってただテレビを見ていても、子供達はおもちゃを買いに来てくれた。近隣に他の選択肢が十分与えられていないのだから当然だ。今の水準から考えると、消費者は相当な不便を強いられ、乏しい品ぞろえの中から高い値段で商品を買わされていたことになるのだが、そのことを自覚していた人は少なかっただろう。

大店法規制緩和によって1990年代以降に大型店舗の出店を増やしていったのは、もちろん"トイザらス"だけではなかった。大手スーパーマーケット、ドラッグストア、大型電器量販店も続々と店舗数を拡大していった。こうして、既得権の上にあぐらをかいていた小売店の多くが苦境に立たされ始める。商店街のシャッター通り化が進み始めたのもこのころであった。

バブル崩壊後の長引く不況も相まって、急速に追い詰められ始めた小売店主達にこの時一つの福音がもたらされる。インターネットの登場である。窮地に立たされた小売店主達の中からネット通販に何とか活路を見出そうとするものが現れ始めた。

今では、レンタルショッピングカートを始め、ネットショップを運営するために必要なツールは安価で豊富に提供されている。ネットの草創期にはそうしたものは一切無く、全てを自ら作っていく他なかった。小売店主達はHTMLやプログラミングを一から学んでECサイトを構築していった。日本におけるEC事業の萌芽を担った人達の多くは、苦境に立たされ始めていた街の商店主達だった。

その後、周知の通りインターネットは長足の発展を始める。常時接続、光回線の時代が始まり、ネット人口が拡大すると共に、ECの市場規模も急速に拡大を始める。消費者がネット通販の便利さ、利点を認識するのは瞬く間であった。一方で、ノウハウもツールもない時代、ECサイトを作り、受注や商品発送の体制を構築するのには時間がかかった。急速に伸びる需要に対して、供給側の体制は追いつかず、EC市場では需給の大きなギャップが生まれ始める。この時期までにネットショップを開店していた事業者の多くは、需給の急勾配を追い風に売上を伸ばしていった。

当時はネットショップ運営者が集まって、情報やノウハウを共有し合う勉強会のようなものが全国で頻繁に開催されていた。勉強会の後に必ず開かれていた懇親会のユーフォリアに満ちた独特の雰囲気を今もよく覚えている。多くの店主がアルコールで顔を上気させながら、売上がどれほど急速に伸びているか、自分の打った販促策がいかに凄い成果を上げているかを笑い声と共に語り合っていた。中には「自分がメールマガジンを書いたら、商品なんて簡単に売れてしまう」と豪語する者や、ライバル店舗を名指しして「あんな店、俺が本気になったらいつでも潰せる」と大口をたたく者までいた。

だが、この状況が一時的な需給ギャップの上に成り立っていることはどう見ても明らかだった。これはバブルに過ぎず、いつの日かこの需給関係は逆転するだろう。その時に何が起こるのか。それはいつ起こるのか。自分はそう考えると不安しか感じられなかった。懇親会の席では、いつも部屋の隅から醒めた目でユーフォリアに浮かれる他の店主たちを眺めていた。

2000年代半ばになると、アマゾンを始めとする大手資本が徐々に存在感を増し、EC市場を侵食し始めた。恐らく2008年ごろが潮目だったのではないかと思う。大成功を収めたカリスマ店長として業界でもてはやされていた人達の中からは、コンサルタントやセミナー講師として自身を売り出そうとする者が目立ち始めた。自店の売り上げに明らかな陰りが見え始め、他の道を模索し始めたのだろう。2008年5月には楽天市場のジャンル大賞受賞歴を持つインテリア・寝具の有名店が突然倒産して衝撃が走った。2010年頃からは、他の有名ショップの中からも閉鎖や撤退に追い込まれるところが徐々に出始め、90年代のネット通販草創期に成功を名を馳せていた有名店舗のいくつかも、気が付くと静かにネット上から消え去っていた。当初「福音」であったインターネットは、市場に効率化を迫るその性質によってわずか十数年で「刃」に姿を変えて、商店主たちに襲いかかっていたのだ。

市場は常にダイナミックに変化し、受給関係は流動的に動いていく。渦中にある事業者は往々にして、その流れを俯瞰的に捉えることが出来ず、自らの成功を自らの能力故のものであると過信してしまう。この現象は金融市場を含めてあらゆる市場で普遍的に観察されるものだ。

草創期にネット通販の萌芽を担った商店主らが有能な人達であったことは間違いない。インターネットが我々に何をもたらすのか誰にも分からなかった時代、彼らは先見の明をもってネットの世界を切り開いた。起死回生を遂げたのみならず、実店舗だけでは考えられなかった大きな売上を上げるまでになった人達だ。であるが故に、彼らがユーフォリアの中で全能感を抱き、置かれている状況を客観的に見られなくなってしまったのも無理のないことだったのかも知れない。

他方で、街の小売店から出発したネットショップの全てが消え去ったわけではない。市場の変化を早い段階から見通し、万難を排して準備進めて今も生き残っている事業者も少なからず存在する。

消え去った者と生き残った者。今振り返って両者を比較すれば、あの時何を成すべきだったのかは明らかだ。街の小売店事業の延長でメーカーや問屋から仕入れた商品をネットで販売しているだけでは、いかにネットマーケティングに長けていたとしても、アマゾンのような会社と戦えるわけはない。だが、渦中にこのことに気付けた人は多くは無かった。

こんな過去のことを思い出して書いたのは、"トイザらス"がアメリカの全店舗を閉鎖するというニュースが流れてきたからだ。大店法の緩和とともに日本に進出し、非効率な日本のおもちゃ店を駆逐していった"トイザらス"も、今度はアマゾン等のネット通販に駆逐されようとしている。

資本主義の自由市場はとても残酷に出来ている。市場を厳然と効率化していくインターネットは、消費者の利便性を向上させると同時に、市場の残酷さをより一層過酷なものにする。今はインターネットの存在を「福音」と感じている者に対しても、その姿をいつ「刃」に変えて襲いかかってくるかも知れない。我々は常に歴史を振り返り、多くのことを学ばねばならない。





(参考文献)
わが国大規模店舗政策の変遷と現状  林雅樹
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/071604.pdf
大店法規制緩和と中小小売商業対策  奈良県立商科大学「研究季報」開学記念号 (1990年 12月)山本久義
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180319222625.pdf?id=ART0001221277
日本トイざラス 沿革
https://www.toysrus.co.jp/corporate/CSfHistory.jsp
楽天"ジャンル大賞"店が倒産――ヒルリードに学ぶECサイトが陥る危険性 『月間ネット販売』小西智恵子
http://www.nethanbai.jp/muryo2008_7b.htm
楽天市場の出店数推移が減少に転じトップページも決算も異変 横田秀珠http://yokotashurin.com/etc/rakuten-shops.html

大規模小売店舗法 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A6%8F%E6%A8%A1%E5%B0%8F%E5%A3%B2%E5%BA%97%E8%88%97%E6%B3%95



80's エイティーズ ある80年代の物語 橘玲 を読んで思ったこと、思い出したこと

 

 1990年代の末に『ゴミ投資家のための』というシリーズ本が出版されていた。今ネットで検索してみても、10冊近く同シリーズの本が見つかる。当時自分が読んだ本がそのうちのどれだったのかよく分からない。


実のところ、何が書かれていたか、それほどはっきりとは覚えていない。覚えているのは「持家をローンで購入するのと、賃貸で借りて住むのとを比較した場合、両者のバランスシートに優劣の差はない」であるとか「年金財政問題は保険料徴収を止めて、全て消費税で賄うようにすると解決する」といった断片的な内容だ。「投資家のための」とタイトルにあるが、単なるノウハウ本というよりは、日本の税や保険、不動産などにまつわる仕組みや制度の矛盾、問題点を指摘した本だったと思う。ただ、はっきりと記憶に残っているのは、これを読んでいた当時、20代後半だった自分は「今いる場所にとどまり続けると、大変なことになる」という焦燥感に取り付かれ始めたことだ。

 

電機メーカーに勤務していた自分は、このころ日本型雇用の大きな問題点に気が付き始めていた。問題点というよりは「罠」と言ったほうが良いかも知れない。今ではネット上の方々で指摘されているが、終身雇用・年功序列を柱とする日本型雇用においては、若いころは賃金が相対的に安く抑えられている。それを年功による昇給で徐々に取り戻していき、定年時に退職金をもらった時点でようやく最終的な帳尻を合わせることになる。当時この雇用システム下で若い時を費やすことのリスクに気付いている人は、少なくとも自分の周囲には一人もいなかった。今から考えると信じられないかも知れないが、90年代後半の段階では、バブル崩壊後の経済の落ち込みは一時的なもので、そのうち日本経済は再び復活すると漠然と思っていた人が少なくなかった。

 

自分は『ゴミ投資家シリーズ』に書かれていたからこのリスクに気が付いたのか、偶々こうした問題に関心を持ち始めた時期に『ゴミ投資家』を読んでいたのかはよくわからない。もともと日本型雇用は経済が持続的に成長していく社会に合わせて作られたものだ。もうすぐ人口減少が始まると言われる日本で、会社は自分の「貸し」をこの先数十年かけて返してくれるのだろうか。


当時の勤務先は大阪市内にあった。90年代後半の日本は深刻な不況に陥り、大阪は全国でも最もホームレスの多い地域だった。中でも市内南部にあるサッカー場を中心とした巨大な公園はほぼ全域がホームレスの作ったブルーシートのテントに占拠されるという異様な光景で、大きな社会問題になっていた。勤務先はそのサッカー場から一駅隣りにあって、会社のビルのすぐ横にも小さな公園があった。1998年頃になると、サッカー場のある巨大公園に入りきれずに溢れてきたホームレスのテントが隣の公園にも立てられるようになっていた。

 

会社に勤務し続けることが大変なリスクであると認識しながらも、同時に辞めることは怖かった。転職活動をしてみたものの、自分には所謂サラリーマンと呼ばれる職業に思っていた以上に適性が無いらしいことがはっきりするだけだった。自分のような人間が会社を辞めるということは、形は何であれ自分の力で市場から直接お金を稼ぐ方法を見つける以外にない。もし失敗すれば、最終的にはホームレスのような生活に転落するに違いないだろう。会社の窓から見下すホームレスのテントまでの距離はあまりにも近かった。

 
結局、焦燥感と当時与えられていた仕事のバカらしさに耐えられなくなって、次に進むべき道が何も決まらないまま会社を辞めてしまった。その後いろいろあったが、結局起業して今で18年目になる。勤めていた会社は巨大工場への過剰投資が祟ってその後経営危機を迎えた。数年に渡る混乱を経てようやく外資系企業に買収された会社は、賃金体系を大きく変更したようだ。若くても優秀と評価された社員に対しては今では高給と昇進で報いているらしい。裏を返せば、その分中高年の給与は大きく削られているということで、結局会社は借りを返せなかったということだ。

恐怖を感じていたにも関わらず、最終的に会社を辞めて自分でお金を稼ぐ道を探すという決断ができたのは、その場に留まるほうが出ていくよりも遥かにリスクが大きいと認識できたからだ。自分の記憶の中では、その認識の基礎を授けてくれたものの一つが、あの『ゴミ投資家』シリーズということになっている。

 

起業して最初の数年間は必死で働いていたので読書の習慣を失ってしまっていたが、その後余裕ができて再び本を手に取るようになった。投資に関連する本も読み始め、中でも橘玲という作家に惹かれて著書を読み漁った。その後かなり時間が経ってから、あの『ゴミ投資家』シリーズの著者は実は橘玲であることを知って驚いた。そういえば文章から伝わってくる著者の空気感のようなものがよく似ている。「海外投資を楽しむ会」という名前で書かれていたので、もしかしたら複数の人物による共著だったのかもしれないが、文体や内容からして、少なくともとも自分の読んだものの大半は橘氏の手によるものだったに違いない。

  

先月(2018年1月)『80's エイティーズ ある80年代の物語』という本が出版された。これまで自身のバックグラウンドについては、ほとんど語らなかった橘氏による半生記で、早稲田大学に入学するころから、ちょうど『ゴミ投資家』を出版する少し前までの期間の出来事を自ら語った物語である。 

 

自ら語る彼の職業人生は眩いばかりに輝いて見える。場末の出版社にもぐりこんだ1年後、編集プロダクションを立ち上げ、国会でも取り上げられるほど物議を醸す雑誌を創刊。その後、紆余曲折を経ながらも、出版業界で多くの才能ある人々と交差し(今も活躍する著名人が多く登場する)、オウム真理教によるサリン事件の取材、出版差し止め訴訟などエキサイティングな体験を重ねていく。

当時を知る世代は「この著者はあの時のあの場所にいたのか」「あの事件に関わっていたのか」と自身の記憶と重ねて興奮を覚えるシーンが多いだろう。知らない世代も、インターネットが無かった時代の出版業界のダイナミックな動きの中に描写される彼の職業人生に強く惹きつけられるに違いない。

このような華々しい活躍をする橘氏だが、そのキャリアのスタート時点では、将来のことをまるでまともに考えていないような学生だったらしい。働くということがどいうことかわかっていなくて、アルバイト先の喫茶店でウェイターとしてそのまま働き続ければ良いと思っていた時期もあったそうだ。結局、カネコさん(当時人気就職先だったマクドナルドのエリート社員)に言われた通りの方法で、新橋の小さな出版社にもぐりこむように就職する。

ある種行き当たりばったりで社会に踏み出したような形だ。学生時代の橘氏は人とはかなり違った世界観を持っていて、興味の対象がとても偏っていたようだ。興味のある対象には深くのめり込んでいく反面、その外側には関心が全く向かわないタイプの人だったのだと思う。それ故、普通の学生が普通に身につけていく就職に関する知識や情報が、普通の形としては彼の頭には入ってこなかったのだろう。同時にこうした偏った性向は彼の才能の表れでもあり、その性向によって編集者としての感性と能力が磨かれていったのではないかと思う。一見行き当たりばったりに進んでいったように見える彼の職業人生は、その優れた才能と少しばかりの運によって確固として導かれていったものだったのではないだろうか。


場末の出版社は落ちこぼれたエリートの吹き溜まりのような所だったらしい。橘氏と同じようにある種のバランスを欠いていて、社会の真ん中では生きられないタイプの人達が周囲には沢山いたようだ。優れた才能を持つ人間はバランスを欠いた人間であることが多いが、バランスを欠いた人間のほとんどは単にバランスを欠いているだけで、特別な才能など何ひとつ持ってはいない。

 
橘氏の周りにいたそうした人達の幾人かは、その後人生の道を踏み外し、社会の周縁部から更にその外側に追いやられることになる。大学時代からの友だちで一時一緒に仕事をしていた篠原君は、自暴自棄になって行方不明になってしまう。新橋の出版社の社長や先輩は、犯罪に絡んで逮捕されたり、巨額の債務を抱えて失踪したりする。

もしかしたら、こうした人達の人生に関わったことで、橘氏は学生時代なら全く興味がなかった「お金のこと」を深く考えるようになったのではないだろうか。それが「世の中の仕組み」や「どうやったらもっとうまく生きられるようになるか」といったことについて記した著書の執筆に繋がっていったのかもしれない。


自分はなんとかお金を自力で稼げるようになって本当によかった。稼げなていなかったら、自分も社会の周縁部のさらに外側へ追いやられた人間だったかもしれないから。
 

 

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

 

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

 

 


追記:起業に向かう決断をする認識の基礎を作ってくれたもう一人の著述家がカレル・ヴァン・ウォルフレンだった。毀誉褒貶のあるウォルフレンだが1989年出版の『日本権力構造の謎』は大きな反響を呼んだ。同書内の記述が原因となって行われたウォルフレンと部落解放同盟書記長との公開討論の場に橘氏が立ち会っていたことが「80's」の中に書かれていてとても驚いた。

 

 

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

日本 権力構造の謎〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

  •  80's エイティーズ ある80年代の物語 橘玲 / 書評・感想・レビュー

軽減税率は「利権の温床」を生む「誰も得しない」税制です

前回「軽減税率で税金が安くなる! と喜んでいるあなたへ ・・・勘違いしてるだけです」で、軽減税率(複数税率)があなたにとって何の得にもならない無意味な制度であることを説明しましたが、今回はその弊害について説明します。

軽減税率(複数税率)がもたらす弊害は沢山ありますが、一番わかりやすいのが「品目の線引きが難しい」ことと「巨大な利権の温床の発生」です。この2つは密接に関係しています。

軽減税率導入前の現時点(2015年9月)で「利権の温床の発生」は既にその兆しが見えています。あなたも新聞各社が「新聞を軽減税率適用の対象にしろ!」と主張しているのを目にしたことがあるのではないでしょうか。

新聞各社が加盟している「日本新聞協会」はその主張の理由をウェブサイト上で以下のように説明しています。

ニュースや知識を得るための負担を減らすためだ。新聞界は購読料金に対して軽減税率を求めている。読者の負担を軽くすることは、活字文化の維持、普及にとって不可欠だと考えている。


新聞協会の主張は一見もっともらしく聞こえるもしれません。でも、考えてみればすぐに分かるように、私たちが「ニュースや知識」を得ているのは新聞だけではありません。

例えば、週刊誌や月刊誌にも真面目なニュースや知識を提供しているものが沢山ありますし、ネットメディアも今では不可欠なニュースの取得源です。

週刊誌や月刊誌、有料のネットメディアが軽減税率の対象外で、新聞のみが対象というのはフェアなのでしょうか?

一方、同じ新聞でも「夕刊紙(タブロイド紙)」はどうなんでしょう。「夕刊フジ」や「日刊ゲンダイ」等です。もちろん夕刊紙はニュースも掲載していますが、どちらかというとエロ記事や競馬の予想のほうが目立っています。

さらには「東京スポーツ」とか「大阪スポーツ」なんてのもあります。「東スポ」はある意味大変価値あるメディアだと私は思っていますが、「ニュースや知識を得るための負担を減らし、活字文化の維持普及のために」東スポを軽減税率の対象にするのは妥当なんでしょうか?

もしも「東スポ」や「夕刊フジ」はふさわしくないとして軽減税率の対象から外すとして、一体誰がどんな基準で決めるのでしょうか? 財務省の官僚でしょうか? 国税庁ですか? あるいは「軽減税率判定センター」なんて作るんでしょうか? どういう決め方をするにせよ、誰かが何らかの判断を下すのであれば、そこには「利権」が発生します。

自社の製品、サービスが対象品目から外れれば、相対的に不利な立場に立たされる会社の経営者は、当然のことながら対象品目に入れてもらえるようあらゆる努力を試みます。(そうした努力は経営者として当然です。怠れば株主等から非難されて然るべきです。)こうして各企業から政界、官界への働きかけが始まります。

では、なるべく線引きに恣意性が生じないように、新聞も週刊誌も月刊誌もネットメディアも、とにかくニュースを提供しているものは全て対象にすることにしたとします(ニュースをどうやって定義するのかという難しい問題は横に置いておくとして)。では、最近よくあるバッグ等のおまけと一緒販売されている女性誌はどうなるんでしょう?

女性誌にも当然ニュースが掲載されています。こうした商品が軽減税率の対象になるのであれば、今度はバッグやその他いろんな商品を雑誌と一緒に売ることを考える業者も出てくるかもしれません。その時には、いったい誰がどういう基準で対象、非対象の判定を下すのでしょう。


・・・

「利権の温床」という観点では、ニュースメディアより食品を例に出したほうが分かりやすいかもしれません。

今現在(2015年9月)「精米」だけを軽減税率の対象にしようという案があります。当否はともかく、生きていくための究極の必需品に対象を絞ったほうが「低所得者対策」として相応しいという考えによるものです。


この「精米だけ」を対象とするのはフェアなのでしょうか? パンも米と同様に主食ですし、低価格なパンも沢山あります。「精米が対象ならパンも対象にすべきだ」という主張を論理的に否定するのは難しいです。パン製造会社の人たちは、当然パンも対象にするよう働きかけるはずです。以下、次のように事は展開していきます。

政府「では「精米」と「パン」を対象にすることにします!」

うどん製造業者「ちょっと待って下さい。お米とパン同様うどんも主食ですよ。うどんのほうが実際パンより安いケース多いですよ。」

政府「わかりました。では「精米」と「パン」と「うどん」を対象にします!」

ソバ製造業者「ちょっと待ってよ。うどんが入るんならソバもでしょ」

政府「あ、そうですね。わかりました。じゃあ「精米」「パン」「うどん」「そば」で・・・。」 

日清食品「ちょっと待ってくださいよ。カップ焼きそばとかカップヌードルのほうが全然安くて低所得者むけですよ。それ、おかしいでしょ。」

政府「じゃあ、焼きそばとラーメンも」

冷凍ピザ会社「ちょっと待ってくださいよ。ラーメンって、インスタントラーメンでも高級路線のもありますよ。高級インスタントラーメン入るんだったら、当然ピザも入れるべきです。」

政府「・・・・。じゃあ、ピザも」

肉まんの井村屋「ちょっと待ってくださいよ。ピザが入るなら、肉まんとかあんまんも要れてよ。」

政府「あ、・・・・。じゃあ・・・」 

こうして、延々と自分の商品、サービスを軽減対象にしようとする会社が現れ続けます。こうなると、軽減対象の決定に影響力を行使しうる政治家や官僚に対する陳情や口利きが始まるのは火を見るより明らかです。(というか既にそうなり始めている。)また、政治家や官僚はこの土壌を権力の源として利用し始めるのも、これまた火を見るより明らかです。


只でさえ、天下りを実質的な賄賂として官僚組織が業界に各種便宜を図っているこの国で、このような「温床」新たに作り出すことの弊害の大きさは、計り知れません。絶対にこんなことは止めるべきです。

どのように線を引いたところで、それが適切なのか?判定はどうするのか?という問題は絶対に無くなりません。こうしてひとたび複数税率(軽減税率)が導入されると、税率の線引きを巡って、泥のような混迷の道に社会全体が迷い込むことになります。

実のところ線引きや判定を巡る混乱や争いは、軽減税率を導入している国では現実に起こっていることなのです。


軽減税率の話を持ち出すと、「ヨーロッパでは!」「ドイツでは!」とすぐに言い出す人がいると、前回書きましたが、導入各国でも当然ながらこのことは大いに問題になっています。税務申告の際も、税務署と納税事業者の間で争いが頻発し、訴訟になることも稀ではありません。ヨーロッパで導入されているからといって、この対象品目の線引きの難しさが引き起こす弊害は、何ら解決されているわけではありません。
(「ヨーロッパでは・・・!」とすぐに言い出だす人を見ると、「ヨーロッパでやっていたら何でも良い制度だとでも思っているバカなのか!?」と正直聞きたくなってしまいます。)

実際に複雑な税率を設定している国ほど、新しい商品が出てくるたびに適用税率を巡って揉め事になるケースが多くなります。急速に世の中が進歩して、過去には想定されなかった商品は今後も出てくるわけで、その度にこのような不毛な争いが繰り返されます。

「線引きの難しさ」「利権の温床の発生」の問題が引き起こす争いによって、社会のエネルギーが無駄に空費されて、生産性を大きく低下させることになります。生産性が低下するということは、社会の生み出す富が減るということであり、富が減るということは国の税収減につながります。税収減になるということは、再度それは私たちに増税圧力となって返ってくるということです。

一体全体、軽減税率(複数税率)という制度は誰の得になるというのでしょう?誰の得にもならないのは明らかです。(利権を得る政治家と官僚以外は)

前回の「軽減税率で税金が安くなる! と喜んでいるあなたへ ・・・勘違いしてるだけです」で既に書きましたが、そもそも軽減税率は「低所得者対策」として効果がほとんどありません。

そもそも目的を達成しない(低所得者が救われない)制度であるにもかかわらず、このような誰も得しない(利権を得る官僚や政治家以外)デメリットを生みだす軽減税率を導入するなんて、全くもって正気の沙汰でありません。

これも前回書いた話ですが、税負担を軽くすることをあなたが望むのであれば「複数税率(軽減税率)」にするのではなくて、単一税率のまま単に税率を下げれば(増税幅を少なくすれば)良いだけの話です。

一度、複数税率を導入してしまえば撤回することは極めて難しく、この国において巨大な「利権の温床」が存在し続けることになります。本当にこんな制度導入して良いのでしょうか???

軽減税率を支持している人は、いますぐこの瞬間に目を覚ますべきです。


(※そもそも「軽減税率で税金が得すると思っているあなたへ・・・勘違いです」で見たように、読者の負担を軽くしたいのであれば、単一税率を保ったまま新聞代を給付すればよいのですが(そうすれば複数税率化のデメリットはなし)、その話は横に置いて書きました。)