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『朝日ぎらい』よりよい世界のためのリベラル進化論 橘玲 を読んだ感想

朝日新聞が批判を続ける安倍政権や自民党に対する支持率は、いずれの世論調査を見ても一貫して若い世代ほど高い。SEALDsなどごく一部の層を除き、朝日新聞の主張は若者の心に一向に響いていないように見える。他方、書店には「朝日新聞批判」をテーマとした書籍や雑誌が並び、ネット上ではいわゆるネトウヨによる「反日朝日」への感情的なバッシングが日々行われている。日本におけるこうした「朝日ぎらい」とも呼べる現象は一体何によってもたらされたのだろか。


「文筆家の仕事は、他人がいわない主張を紹介し、言論空間にゆたかな多様性を生み出すことだ」と述べる著者は、朝日新聞の個々の報道・論説への批判に立ち入ることはしない。本書の出色の独創性は「朝日ぎらい」という現象の分析を通じて、この数十年間で大きな変化を遂げてきた世界の新しいあり様を克明に浮かび上がらせ、その姿を読者の目の前に提示して見せようとするところだと思う。

 

変化のただ中にいる者は往々にして、何がどのように変化し、その変化が何によってもたらされているのかを認識するのが難しい。著者は「朝日ぎらい」の背景にある事象を様々な典拠を示しながら分析していくことによって、読者を高い視座に引き上げ、「リベラル化」と「アイデンディティ化」の潮流によって変容が進む世界に対する見晴しを与えてくれる。

 

「リベラル化」「アイデンディティ化」の2つの潮流を引き起こしている要因は複数示されているが、中でも最大のものはテクノロジーの急速な進歩を背景とした「知識社会化」の進行だろう。AIやITCなどをはじめとする最新テクノロジーを用いる事業においては、高い知能を持つ優秀な人材にしか価値を生み出すことができない。おのずと人材獲得競争は激しいものになり、企業には国籍や人種、性別、宗教、年齢、性的指向などで社員を差別する余地などなくなってしまう。こうして「知識社会化」は、必然的に「リベラル化」「グローバル化」につながり、これらが三位一体となって同時進行していく。

他方、「知識社会化」は仕事に必要とされる知能のハードルが上がるということであり、そこから脱落するひとが増えるのは避けられない。結果、変化から取り残され、見捨てられつつある層の怒りが社会の保守化=右傾化を招き、「アイデンティテイを傷つけられた」と感じる人々の感情が、米国ではトランプの、フランスではルペンの支持拡大につながっていく。日本における「嫌韓」「反中」「朝日ぎらい」のネトウヨの台頭にも同様の背景があると著書は分析する。(*追記2)


本書後半では「リベラリズム」「リバタリアニズム」「共同体主義」といった政治思想が進化の過程で培われた人の「正義感覚」を土台としていることを、チンパンジーを使った実験などを紐解きながら説明していく。そこから更に踏み込んで、保守・リベラルの政治態度がどのような要因によって決定されるのかについての最新のアカデミズムの研究を紹介する。この部分はまだ仮説の段階であり、研究者の間でも異論があるに違いないが、非常に乱暴に要約すれば「政治志向は知能の低い人ほど保守になりがちで、知能の高い人ほどリベラルになりがちである。知能が高い確率で親から子へ遺伝するように、政治志向もまたかなりの程度親から子へ遺伝する可能性がある。そしてリベラルな人ほど経済的に成功し豊かになる傾向がある」ということで、これはある意味「不都合」で身も蓋もない話だ。現にワシントン、ニューヨーク、シリコンバレー、ボストン等に集まる世界でも最も豊かな層を調査すると、その多くがリベラルな政治志向を持っていることが分かる。

リベラル化の潮流によって変容が進む世界の中で、朝日新聞をはじめとする日本の「リベラル」のあり様はどうであろうか。 グローバル・スタンダードのリベラルはすべてのひとが自分の可能性を最大化できる社会を理想とし、より良い世界、より良い未来への進歩を目指すものだ。にもかかわらず、日本の「リベラル」は憲法問題にせよ、日本を「身分制社会」たらしめている日本的雇用にせよ、さらには築地市場に至るまで、頑強に現状の変更に反対し、既得権益層を守ろうとする守旧派に堕していると著者は厳しく批判する。さらに「あとがき」では、本来のリベラルのあるべき姿を一つ一つ描写し、それを鏡とすることで朝日新聞社ダブルスタンダードにまみれた姿を静かに映し出して見せる。

 

 橘玲氏は近年「日本は先進国の皮をかぶった前近代的身分制社会」であると繰り返し述べている。「前近代的な」という言葉は、身分差別(正規・非正規の差別、性差別、年齢差別など)の存在そのもののみならず、近代社会ではあり得ない身分差別の存在を当たり前のように受け入れ、当然持つべき疑問や憤りを持つことができないままでいる多くの日本人の意識に対しても向けられているものであろう。


その意味では、自らの「ダブルスタンダード」を顧みず、「リベラル」を自称しながら本来のリベラルにはありえない主張を行っていることに対して疑問も矛盾も感じていないかのような大手新聞社の存在もまた日本の「前近代性」の表れと言えるのではないだろうか。

 
「朝日ぎらい」というタイトルもあって、本書はこれまでの橘氏の著書とは異なる読者層を獲得するのではないかと思われる。以前の橘氏の著書はどことなく「届く人にだけに届けばいい」といった空気感の中で書かれていたものが多かったような気がする。

昨年出版の「専業主婦は2億円損をする」もそうだが、ここ数年の橘氏は、これまでの読者層とは異なるより広い層に届けるべき声を届けていこうと試みているのかもしれない。本書はできるだけ多くの人に読まれて欲しい。そして、我々がいまだ「前近代的身分制社会」に生きていることにより多くの人が気づき、その前近代性が少しずつでも解消されていってくれればと思う。

 

 

【追記1】発売直後、タイトルだけを見て「朝日擁護本」と勘違いしたとおぼしきネトウヨ達が、読んでもいないのにアマゾン内で星1つの低評価レビューを投稿するという事態が起こった。著者は困惑していたようだが、逆に本書内に書かれていることの正しさを示しているようで興味深かった。星1つのレビューを読んでから、本書を読むとある意味より面白くなるかも知れない。

 

【追記2】本書内でも引用されている社会学者樋口直人氏は、ネトウヨの中には大学生やホワイトカラーが多いと述べているが、これは聞き取り調査ができた34名という少ないサンプル数に依拠した見方であるため、橘氏はあまり重視していないようだ。困窮する米国ラストベルトの労働者や、絶望死が増加しているという低学歴白人層の姿と日本のネトウヨには乖離があるかもしれず、両者を重ねることについては異論があるかもしれない。